明石家さんまさんと言えば、お笑い芸人さんとして知らない方はいらっしゃらないほど有名な方ですよね。

 

トークも面白いだけでなく、相手の方を落とすような話し方をされないのが魅力ではないでしょうか。

 

私も大好きな芸人さんです。

長寿番組「さんまのまんま」というトークバラエティー番組(1985/4~2016/9)の司会者としても有名ですよね。

 

あのマスコットキャラクターの「まんまちゃん」との掛け合いも本当に楽しかったです。

 

番組内では非常に明るく面白い明石家さんまさんですが、意外にも暗い過去をお持ちのようです。

 

今回は明石家さんまさんのさんのことについてお話します。

明石家さんまの弟はすでに他界?

明石家さんまさんのプロフィールですが

 

1955年に和歌山県東牟婁郡串本町で生まれで、奈良県奈良市で育たれたそうです。

 

家族構成は両親と兄の二人兄弟の4人家族だったようです。

 

さんまさんが3歳の時にお母さんが亡くなられます。

 

その後お父さんが再婚され、義弟ができます。

 

その義弟をさんまさんが27歳の時亡くされているのです。

 

その時義弟は19歳だったようです。

 

義弟との血のつながりはないようですが(継母の連れ子)、仲は良かったようです。

 

そのため亡くなった時、お笑いが続けられないかと思えるほど悲しまれたようです。

明石家さんまの弟の死の原因は家事?

さんまさんが27歳の時、義弟は19歳

 

まだまだこれから・・・というときに悲劇が起こります。

 

さんまさんのご実家は「魚の加工業」を営まれており、その家業を義弟が継ぐことになったようなのです。

 

しかし、義弟はその家業を継ぎたくなかったようで、実家の工場の家事で亡くなってしまいます。

 

純粋に「失火」かと思われましたが、その後の警察の調べで義弟の衣服から灯油の成分が検出されたこと、工場のほぼ真ん中で亡くなられていたことなどから「自殺」と断定されたそうです。

 

血がつながらなくても仲良しだった弟を亡くす・・・

 

さんまさんにとってどれほどの悲しみだったでしょうか。

 

本当につらい思いをされたのだと思います。

 

実家を火事で失うだけでなく、仲の良かった義弟を亡くしてしまわれたのですから・・・

明石家さんま、弟を亡くした後は?

27歳という若さで19歳の義弟を亡くしたさんまさんは、お笑い芸人を続けられないかと思えるほど落ち込まれたようです。

 

そんな時、仲の良かったオール巨人さんと舞台に立たれたとき、オール巨人さんから「お前んち、兄弟焼いたらしいな」(さんまさんへの励まし)とふられると「なんてこと言うんや!そや、材木きれたから代わりに焼いたんや!」と返し、「芸人を続けよう!」と思われたそうです。

悲しい出来事には違いありませんが、こうした「良き仲間」の励ましがあってお笑い芸人を続ける選択をされます。

 

その後も「多くの人を笑顔に」という芸で、本当に多くの方の心を救ってこられています。

 

さんまさん、本当に素敵です。

まとめ

生きていればいろいろあるものですが、「親しい人との別れ」は本当に堪えます。

 

ましてや、さんまさんのように27歳という若い時だったなら。

 

しかし「良き仲間」にも恵まれ、大きく崩れることなく、現在に至っておられます。

 

私たちも生きているといろいろありますが、乗り越えられないことは自分には起こりません。

 

必ず乗り越えられるものです。

 

さんまさんの人生に学びたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。