今年(2019年)の「お彼岸」は3月24日で終わりましたが、「お彼岸」ってご存知ですか?
スーパーにお買い物に行くと「お彼岸のおはぎ」とか「お彼岸のお墓参りに」とかいうコーナーを見かけますよね?
私は、何となく「春分の日、秋分の日」の辺りをお彼岸というのかな?という程度理解だったので、ちょっと調べてみました。
お彼岸は年に2回ある
彼岸とは春分、秋分を中日として、それぞれ前後3日間を合わせた7日間のことなんです。
1年間で14日間あるということですね。
7日間の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」といいます。
なぜお彼岸にお墓参りをするのでしょう?
彼岸というのは向こう岸という意味ですが、仏教ではこの世(煩悩や迷いの多い世界)に対して仏の理想の世界(極楽浄土、涅槃)があると考えられていますが、そこへは数多くの煩悩や迷いを越えなければならず、この世に対してはるか向こう岸であることから極楽浄土のある所を彼岸というのだそうです。
ただ、お彼岸にお墓参りをする習慣は日本固有のもののようです。
きっと「極楽浄土に行くためには・・・」と考えた時、先にご先祖様が行っている世界なので「ご先祖様はどうやって行ったのかな?向こうはどんな世界なのかな?」とかの思いから先祖供養(お墓参り)へと習慣化していったのではないかと思われます。
お彼岸とおはぎの関係は?
私の住むところでは、お彼岸にお供え物として作られる「おはぎ」は春も秋も「おはぎ」ですが、ところによっては「ぼたもち」というところもありますよね。
その由来は、このお彼岸の頃に咲く花(春は牡丹、秋は萩)に関係しているようです。
お彼岸から学ぶこと
「自分が存在する」ということは両親が必ずいます。
その両親にもそれぞれ両親がいて・・・
自分の命は子々孫々と受け継がれてきたものです。
ある日突然、どこからともなく生まれたわけではありません。
こうして考えると「生かされている」ということを感じませんか?
あれが欲しい、これが欲しい、ああなりたい、こうなりたい・・・
人間は本当に欲の深い生き物です。
しかし、この「欲」も無ければ生きる目標が不明瞭になります。
「欲」は持っていなければいけませんが、度を越してはいけませんよね。
日々時間やいろいろなことに追われて、ゆっくりと自分のご先祖様のことを考えることは難しいですよね。
核家族化も当たり前になってしまい「自分の祖父母とも疎遠で・・・」という方もおられるようですが、せめて「お彼岸」くらい、ゆっくりと自分のご先祖様のことを想う時間を持っても良いのではないでしょうか?