親との死別はつらいです!自分たちより歳の多い親が先に亡くなるのは、ある意味当然のこととも言えますが、つらいものです。

 

いつまで続くのか?

 

本当にどうすればよいのか?

 

楽になる方法はないのか?

 

辛い中、悲しみと戦っておられる方の参考になればと体験談もお話します。

親の死に対して、専門家(医師)はどう考えているのか?

昨今のコロナ禍で「親の死」が頭をよぎる機会も増えたのではないだろうか。いつかは必ずやってくる別れの前に、今から心がけるべきことは何か?看取りの現場に携わるプロたちを取材。今回は精神腫瘍医の大西秀樹氏に話を聞いてきた。後悔のない親の死を迎える前にすべきこととは?

引用:ヤフーニュース「「後悔のない親の死を迎える前にすべきこと」遺族外来の意志が語る」より

 

大切な人(親、子どもなど)を亡くすと本当につらく悲しいものです。

 

遺族外来というところにいらっしゃるお医者さんもおっしゃっておられます。

 

以下で見ていきましょう。

親との死別の悲しみはいつまで続くの?どんなことが影響するのか?

1.後悔があると長引く

「あの時、ああしとけばよかった、他の方法があったかもしれない」「どうしてあの時、あんなことを言ってしまったのか」「いつも行っていたのに、どうして亡くなる日に限ってお見舞いに行かなかったのか」などなど・・・

 

基本的には、お別れする間際(最期)の対応に後悔を持っている場合、つらさや悲しみを深める場合があります。

 

2.周囲からの言葉かけの影響

「いつまでもくよくよしないの!元気出してよー」「えーっ、胃ろうも何もしなかったの?見殺し?」「しっかりしなさい!」「よくお父さんとここに来たわねー」などなど・・・

 

周囲は決してあなたを悲しませようとして言っているのではなく、むしろ励まそうとしていたりするのですが、結果的にその「言葉かけ」がきっかけでつらさや悲しみが深くなる場合もあります。

 

3.相続など法的なことへの対応

日本では人が亡くなると、法的に「相続」をしなくてはなりません。

 

これには期限があって、基本的には10か月以内(相続税の納税期間)です。

 

この期間を過ぎても相続税の納入はできますが、延滞料が発生しますので、できるだけ10か月以内に済ませるのが無難です。

 

しかし、この「相続」をするためには、遺品の整理や故人の全財産を把握する必要があります。

 

いやがなんでも「遺品」に触れなければなりません。

 

こうしたことがつらさや悲しみを深めることがあります。

 

以上のようなことが影響して、長い方は数年以上続く場合もあるようです。

 

できるだけ、短くて済むと良いですね。

私の場合の体験談

私の場合、父とは2019年12月に死別、母とは2021年9月に死別しました。

 

父の死別からようやく立ち直ってきたときに、母を亡くしたことになります。

 

父とのお別れ:

「親との死別はつらいです!立ち直りに何年かかるでしょう?体験談!」の記事をお読みください。

 

母とのお別れ:

認知症で特別養護老人ホームに入所していましたが、母の終末について何度も施設の方と相談をしました。

 

ちょうど私自身、母の成年後見人でもありましたので、何度も何度も話し合いました。

 

もちろん、父が生きていた時には「胃ろうは必須」(少しでも父と一緒にいさせてあげたいため)でしたが、父が先に逝ってしまいましたので、母の終末は悩みました。

 

兄は「生き物は口からものが食べられなくなったら終わり」という考えを持っていたので、基本的には「自然死」を希望してました。

 

私は悩みました。

 

ただ、母に「最期どうしたいか?」と尋ねたことはありませんが、認知症がわかった時デイサービスなどを勧めるとき「お母さん、認知症が進んで行ったらどうしたい?」と聞いたことがあります。

 

その時、母は「あんたたち(父や兄、私)が分かる間は、迷惑かけるかもしれないけど一緒にいたい。でもよくわからなくなったら、みんなに迷惑かけたくないので施設に入れて欲しい」と言いました。

 

この母の発言が最後の決め手になりました。

 

施設入所の判断もそうでしたし、よくわからなくなった時、ただ生かされることを望んでいないと判断しました。

 

ただ、人の命の期限を決めることになるので、いまだに「あれで良かったかな?」という疑問はあります。

 

この判断のもと「自然死」を選択し、いよいよ口から物が食べられなくなった時「看取り開始」とのことで、施設より連絡いただき母に会いに行きました。

 

ほとんど寝て過ごしている母でしたが、私が呼びかけると(コロナ対策で直接面会でできなくなって1年3か月経ってました)、パッと目を開けて私の声がする方を向きました。

 

正直、この時は「胃ろうすれば良かったかな?」と思いました。

 

まだ、私の声に聞き覚えがあるということですよね?

 

施設の方も「娘さん、来てくれてよかったですねー」と母に声をかけてくださいました。

 

コロナ禍でなければ、もっともっと会えたのに・・・

 

とても悔しい思いでしたが、1年3か月振りに触れる母は、痩せて以前より二回りくらい小さくなっていて、涙が自然とこぼれました。

 

それから毎日10分だけ「看取り面会」が許されたので通いました。

 

そうして10日後、私がしっかり手を握る中、旅立って逝きました。

 

毎日10分間、10日間でしたが、母の手を握り話せること(思い出や感謝の言葉など)を話してお別れしました。

 

母が亡くなった寂しさはありますが、涙が止まらないといったつらさや悲しみはありません。

 

ある意味「後悔がない」ということかも知れません。

 

私自身にできることをやり切ったからかな?

 

父の時と本当に大きく違います。

 

ただ、両親ともに居なくなった寂しさはありますよ。

 

母の死後の相続では兄に心無い言葉をかけられて号泣しましたが、母の死に対してのつらさや悲しみではありません。

 

母方の親戚の方から「寝ているだけ(胃ろうでも何でもして)でも、生きててほしかったのに・・・」と言われたときは、「やっぱり、胃ろうくらいはしても良かったかな?」という思いになりましたが、認知症初期の頃の母の言葉「わからなくなったら、みんなに迷惑かけたくない!」で、納得できる自分がいました。

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

親とのお別れは、本当につらく悲しいですね。

 

私の場合もお話しました。

 

ささいなことでも「後悔がある」と、悲しみが長引くようですね(私自身体験しました)。

 

父が亡くなった日に限って、お見舞いに行かなかったことへの後悔。

 

それに端を発して、父が生きている間に感謝の言葉をきちんと伝えていない、どうして実家へ帰って同居しなかったんだろう、あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった・・・と、次から次へと後悔が押し寄せました。

 

私の友人に中学から親元を離れて学校に通っていた子がいましたが、大学生の時その友人のご実家にお邪魔して帰る時(友人と一緒に下宿のある場所へ戻った)、友人が「お母さん、これが最後になるかもしれないからよくお顔を見せて!」と両手でお母様の頬を挟んでいるのを見て「えっ???」と思いましたが、そのお母様は「変な子でしょう?いつも下宿に帰る時はこうするのよ!」と言って微笑んでおられました。

 

友人も「だって、今から車で下宿に帰る時に交通事故に遭って命がなくなるかも知れないでしょ?」と言うのです。

 

それはそうだけど・・・と納得はしたものの、どこか実感がありませんでした。

 

しかし、もしもの時、日ごろからこんな風にしていたら、お母様の悲しみ(後悔)を少なくしてあげられるかもしれませんね。

 

日ごろから、ということかも知れません。

 

ただ、悲しみの真っただ中の方は、本当にしんどいと思います。

 

しかし、よく考えるとお別れする間際のことだけにとらわれていることが多いですよね。

 

親に対して、一つでも感謝していれば良しとする、もありですよね。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。