高齢者の方を知らない人はいらっしゃいませんよね?
生き物は生まれれば必ず死んで行きます。
そうすると、人は必ず「死別」を体験することになります。
医療は猛烈な勢いで進歩しています。
いろいろな意味で「命を生かす」ことができるようになってきています。
今までなら、自然の摂理で終わっていたはずの命が「生かされる」ということになっています。
非常にありがたいことでもありますが、ある意味厄介な問題も生みだしてしまいました。
「命を延ばす(延命)」という問題です。
私が先日母を看取った体験をもとに「人の命を任された」時の判断の仕方をお伝えします。
高齢者の延命は必要か?
1.高齢者の延命はどういった時に必要かどうかを判断しなければならないのか
基本的に「このまま放置すると死に向かってしまいますよ」というタイミングで「延命」をするかどうかの判断を迫られます。
ただ、高齢者の場合は若い人に比べて終末期に早く到達すると考えられるので、病院への入院時、施設入所のタイミングで問われる場合もあります。
2.高齢者の方の命を任されたときの判断方法
①高齢者本人に意志がある場合
これは文句なく、ご本人の意志に従うべきです。
ご本人が「こんな風に終末を迎えたい」という考えがあるなら、ぜひ尊重していただきたいですね。
②高齢者本人の意志が確認できない場合
これは本当に困ります。
たいていの場合、配偶者または親の命を任されるわけですからね。
判断方法としては「ご本人の言葉」「ご本人の生き方」などを思い出して判断することになるかと思います。
意思表示ができるときから「こんな風に終末を迎えたい」ということを聞いておられる場合は、比較的判断が易しいかもしれませんが、そういったことがない場合は本当に困ります。
しかし、いろいろなところに「ご本人の生き方」のようなものを感じる部分があるものです。
例えば、長寿の方をみた時「すごいね~私もあんな風に長生きしたいね~」という場合は「命を最大限使い切りたい」という思いがくみ取れます。
逆に「まあ、私はあそこまでして生きたくないね~」という場合は「命をほど良いところで終了しても良い」という思いがくみ取れます。
また、生き物の扱いなどでも判断できます。
例えば、お花を活けていてちょっとしおれてきたら捨ててしまう人、何度も水切りをしながら生かそうとする人、本当に人それぞれです。
ここで注意したいのは、どちらが良い悪いということではありません。
その人の考え方、想いが表れているということです。
体験談ー私が母を看取った場合ー
私の母は認知症でした。
亡くなる12年前に「アルツハイマー型認知症」と診断されました。
診断されたとき、本人はかなりショックを受けていました。
「物忘れがひどいな~」という自覚はあったようですが、実際診断されると「お母さん認知症だって、なんかショックだわ~」と言ったのを覚えています。
私の場合はちょうど母の意志を聞くきっかけがありました。
私がケアマネージャーになる時のケアプラン第1号だったのです。
ケアプランを立てる中で「お母さんは将来、どんなふうに生きて行きたい?」と尋ねました。
そうしたら「お父さん(夫)や兄ちゃん(長男)、よっちゃん(私)が分かる間は、迷惑かけるかもしれないけど、一緒にいたい。でも、誰がだれかよくわからなくなって、みんな(家族のことだと推察)に迷惑かけるようになったら施設に入れて欲しい。迷惑かけるのは嫌だから」と言いました。
父は被爆者でもあるためか?本当に「命」を大切にする人でした。
母が入所した施設で胃ろうをしておられる方を見て「あれ(胃ろう)をすればまだ生きられるな~」とよく言ってました。
この二人の発言を比べて見ても「命に対する考え方」の違いがわかられるかと思います。
決して母が命を粗末に考えているわけではありません。
ある意味での「尊厳死」を望んでいるということでしょうか。
対照的に父は「命を最大限使い切りたい」という意志を持っていると言えるかと思います。
そんなことで、母に対しては父の死後「自然死」を選択しました。
それでも、食べむらが出てきたとき、入院したとき、飲み込みが難しくなってきたとき・・・
いろいろな場面で「延命」に対する判断を迫られました。
そのたびに「今胃ろうすれば、まだ生きられる」「IVH(中心静脈栄養法)をすれば、まだ生きられる」という気持ちに何度もなりました。
どんな形でも生きていて欲しい、と願うのが肉親だと思います。
「延命の是非」の判断、本当に難しいものだと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?
私の体験談を含めてお話ししました。
「人の命を任される」とは、本当に重責です。
今まさに悩んでおられる方の参考になればとおもい記事にしてみました。
最後までお読みいただきありがとうございます。